瀬戸内を望む山寺、花の山寺、通称『シャクナゲ寺』
桜 山
南原寺

法灯1400年の霊山

歴 史

当寺は神功皇后を草創、聖徳太子を開基、花山法皇を中興とする真言宗の寺院で、寺伝によると聖徳太子が仏教を広める為、全国に46ヶ寺を建立されたその中の1ヶ寺とされ、往古は難払寺、難波羅寺と称していた。

聖徳太子は当山と神功皇后の故事に因んで、 「難を払う寺」として「難払寺」と名付けられました。その後、役行者や弘法大師も留錫され周囲仏閣は三十有余と修験道、密教の聖地として寺運の隆盛は栄華を極めたが平安期にはさびれていった。

その後、正暦2年(991)諸国巡歴の途に掛錫された花山法皇は衰退していた寺運を再興され寛弘5年(1008)2月8日、御年41歳、南原寺に於いて崩御されたと伝えられている。 以来国家の祈祷所として歴朝の尊信篤く、特に四条天皇(1232〜42)は綸旨を下して近隣の里を多く寄進され東厚保、大嶺、伊佐、於福、秋芳にわたり多くの寺領を有した。

建武2年(1332)佐々木直綱による花山法皇秘密法会の供養田など多くの寄進により益々栄え、当時は里に阿弥陀堂、法華堂、地蔵堂、鳴滝寺、光照寺、御影堂、小杉寺等多くの寺領と末寺を有し、山内には西の坊、東の坊、中の坊、上の坊、谷の坊、中谷坊などの諸堂宇が散在し末寺を含め周囲仏閣は124坊を数えるに至り、※長門三山 ※長門四峰と呼ばれた。

又長門の国の鎮護寺として大内家代々の祈願寺としての庇護を受けた。山内の鎮守である日吉山王権現は山内に七社、里に七社の社を持ち美祢郡中の総鎮守としての権威を持っていた。

以来1400年の間、時世の変遷につれ、又幾多の災害により諸尊、宝物を焼失するなど栄枯盛衰を経て今日に至っている。

山中には坊の跡、祭祀遺跡、経塚群、古墓群など点在し、遺物も多く出土し往時の勢力を窺い知る事ができる。

※長門三山 桜山南原寺 松嶽山正法寺 華山神上寺
※長門四峰 桜山南原寺 松嶽山正法寺 華山神上寺 利生山永福寺