花山法皇と美祢尼
……桜山に美祢という尼僧が修行していた。色は透き通るように白く、目鼻立ちは整って、稀に見る美女であった。美祢は豊後の国の豪族の娘で故あって仏門に身を投じただけあって美しさの上に気品がただよっていた。法皇がはじめて美祢尼に眼をとめられた時、思わずはっとして眼を見開かれた。その美貌もさることながら、皇子を身籠もったまま若くして逝かれた愛妃、引微殿と見まちがうほどよく似通った面影だったからである。……(中略)……法皇の胸裏に深く刻み込まれた美祢尼の姿は、日を追って大きく膨らんでいった……(中略)……相寄る二人の心は結ばれて、いつしか人目をしのんで逢う瀬を重ねるようになった。
……(中略)……ある夏の夜のこと、いつものように法皇と美祢尼は、桜山の頂上の附近の小径を、楽しく語らいながら散策していた。 爽涼とした微風がながれ、夏の暑さを忘れる事ができた。 「あ…」法皇は思わず足をとめられた。いままで晴れていた空の一角に、巨大な暗雲のかたまりが発生し、見る見るうちにおし広がった。強い風が襲って木々が激しく揺れ動いた。二人が山を下りようとしたとき、凄まじい稲妻が走って山を洗うような激しい雨が降ってきた。法皇は美祢尼の手を引いて、椎の木立に逃げようとされたが、再び走った火柱のような稲妻に打たれ、気を失ってその場に倒れたのである。意識を失った二人を無情の雨は音を立てて叩いた。暫くして気づかれた法皇は、はっとして体を起こされた。美祢尼はまだ横たわったままである。闇の中でその体を抱き起こされたが、美祢尼は既に息絶えていた。 「ああ、お前もか…」法皇の頭の中を愛妃の引微殿の面影がよぎった。悲嘆の涙があふれ出た。その涙の洟も、降りしきる雨が洗い流した。……(中略)……雷鳴は遠ざかったが、激しい雨は依然として降り続いている。闇の中でその音だけだ桜山の峰を包んだ。ようやく落ち着きを取り戻された法皇は、美祢尼を抱きかかえて、ゆっくりと南原寺へ歩かれた。それは、かげろうのようにはかない恋の執着であった。その悲しみを洗い流すかのように、雨は尚もしょうしょうと降り続いた。……
文芸民話「桜山南原寺」 杉本要 著

花山法皇遙拝所
御陵参道